さいしょに
問題のない「家族」、「家庭」なんてこの世にあるわけがないとい思う今日この頃。
幼かった頃の出来事を受入れようと葛藤する心。
自分にとって過去は過去。
人は難しく、大変な生き物だと思います。
でも、一度きりの人生です。
過去に縛られたくないから乗り越えるよう、時間かけてもがいてます。
【もくじ】
家族が苦手になった理由
厳しすぎる父からの罰
保育園くらいの頃に姉達と喧嘩して、私が大泣きして泣き止まなかったのが原因で「うるさい」っとゲンコツで強く叩かれ夜の雷の雨の中、電柱にくくりつけられたことがありました。
その日はもちろんご飯抜きの罰と雨でとても寒く、暗闇の雷が怖くて、縛られているから立ったまま寝落ちしていたことがありました。
この時の私は、幼かったのですが心の中で必死で唱えていました。
「泣くな、泣きやめ、泣く私が悪いんだ、お願い涙止まって、怖い怒られる」
と思うほど嗚咽とヒックヒックと止まらない。
罰なんだと本気で思っていました。
それからも、父の表情でいつゲンコツや罵声がくるか怯えて暮らしていました。
父は母にもお皿を投げて八つ当たりしていたこともありました。
そのせいか分かりませんが、体調は崩しやすく病院ばかりいく子供でした。
母も限界だった
母もそんな私にストレスが溜まっていたんだと思います。
熱でお家で寝ていたところ
母が私にブチギレて「病院ばっかりお金かかってくらすっぞ!(方言:うちのめす)」と言ってきました。
その日から、私は熱が出ても自力で治さなければこの家で生きていけないと思い、我慢してなんとか元気に演じていました。
姉たちも、特に一番上にはもっと厳しく姉もストレスからか、真ん中の姉に当たるようになりました。末っ子の私は、この悪循環な家庭で生きていくので必死でした。
親に恥をかかせた授業参観
私は、勉強が苦手で小学校1年生の授業参観でたまたま先生から当てられて「1+1」が答えられませんでした。
そのことで授業参観にきていた父が夕飯の時に恥をかいたと、母に勉強を教えるよう指示が出ました。
姉達は頭も良くスポーツもできたので私だけが不良品のように思えました。
勉強しないと怒られる、だから勉強しないと母も苦しむ、なんで私は勉強できないんだと自分を責めながら、勉強をしなければいけない。
私の意見は、全否定。
親が正しい。
親から浴びせられる愚痴は絶対聞かなければいけない。
親の言うことを聞かなければいけない。
その日から"私のルール"とうものが、どんどん作られて行きました。
いかなるときも〜しなければいけない
自分ルールに縛られる
ただでさえ、自分の感情を抑えて押し殺してルールに縛られて…。
感情と心がグチャグチャになると思春期の頃は、死にたいと思うように変化しました。
また無性に怒りが込み上げてきて壁に穴をあけて父親から怒鳴られ叩かれ、母を困らせたこともあります。
今思うと、物に八つ当たりはよくない!
悲しみしかうまれないから。
感情の悪循環、感情のコントロールが難しい時期でした。
母親を困らせたくないのに、感情が制御できなくて、そんな自分が嫌でこの世から消えたいと毎日毎日考えていました。
大人になるに連れて
いかなるときも〜しなければいけない
は少しずつ、和らいで言ったように思えます。
理由は家を出ることができたからだと思います。
自由。自由を手に入れた喜び。
だから家を出たら、実家に全く行かなくなりました。
家族との距離感
家族が嫌いな時もありましたが大人になるに連れて時間が解決してくれたこともあり、受け入れようとしている最中です。
やはり子供時代は本当に大事だと思います。
トラウマになって乗り越えるのに時間がとてもかかります。
先生や上司から怒られると、体が固まって萎縮する癖が残っています。
感情がいっぱいいっぱいになると、涙が出てきます。
その涙は、心を守るために反射的に出るものだから仕方ないと思うようにしています。でも人前で出た時は最悪です。周りに迷惑をかけてしまうから。
この歳になってもまだ乗り越えて無い部分があり自己嫌悪になることもしばしば。
家族と会うことがちょっとずつ、できるようになるのに時間がかかっていますwww
他の人からは「どういうこと?」と思われるかもしれません。
今でも両親と会うと、手足の痺れと涙が自然に出てくる。
自分で不思議なんです。
でもきっと、心が自分を守ろうとしてる反応だと思うことにしています。
家族とのコミュニケーションが音信不通から、メールで現状報告できるようになっただけでも進歩した方だと思っています。
こう思うようにしている
あの頃の父親は、会社のストレスが凄かったんだと思っています。
また、父の兄弟の話では、父も自分の父から叩かれたり罵声を浴びせたりされたそうで心のトラウマが蘇って私達にそうしたのかと…。
父も被害者だったんだと思うようにしています。
あの頃の母親は、育児と父と姑さんと父の兄弟で我慢とストレスで爆発していたんだと思います。特に姑さんが意地悪で介護の費用も全部、父の給与でやりくりしていたのに、父の兄弟から文句ばかり言われてキツイ思いばかりしてきたんだと。
そう思うと母親も、被害者です。可哀想な環境で一生懸命育ててくれたと思っています。
健康診断で母の胃は、ねじれていたそうです。我慢強い母。
姉妹もギクシャクは取れないけど、優しくて感情のコントロールが難しい長女は私も似ているから良き理解者。太陽みたいに明るく厳しくて優しい真ん中の姉。3人が近づくとギクシャクするから距離感ある方が一番落ち着く。
みんな、悪循環な環境だっただけ…なんだと。
そのおかげで、人の行動や人の表情の変化に気がつくようになれた。
そして人の心の痛みを知ることができたので。
きっと、大事な経験だったんだと。
さいごに、母からのメール
大人になって、ほとんど実家に行かなかったから知らなかった…。
父は会社を辞めてのんびり暮らしているせいか、性格は丸くなりました。
母も優しく心が穏やかになりました。
最近、母親とのメールで母から
自分の子供はみんな可愛いし、みんな幸せになって欲しい。
だからみんなほっとけない…
この言葉だけで、号泣してこの記事書きながらも涙がポロポロ。
私にとって、このメールは信じられないくらい胸が痛くて、深くて深くて今までの心のキズが少しづつ塞がって行くような感じです。
「家族」というものが私には、難しく、あたたかい家庭が憧れだった。
心が歪みすぎて忘れていた記憶が、ブワッとこみ上げてきました。
子供の頃、自分に自信が持てなくて迷惑かけたのに、一生懸命育ててくれた両親。
怒ってばかりじゃなかった父との記憶。
一緒に海に潜って魚とったり、山登りした父。
母と手を繋いで、買い物に言った記憶。
上の姉からピアノを教えてもらった記憶。
真ん中姉と美味しいもの食べに言った記憶。
家族みんなで行った旅行の記憶。
「どうか、まだ会いに行ける勇気はないけど、元気でいてください」と思います。
もう少し、時間はかかるけど「受け入れる」という気持ちは忘れないように大事にしたいなぁと思いました。
おわり