今、30代なんですけど
将来に確実に影響しています。
高校卒業してから、ほとんど実家へ行くことはなくなりました。
【もくじ】
進路を決めたあの頃
道を選べたはずなのに、行き止まりが多い人生を歩んでしまった。
希望校で夢がいっぱいだった中学生時代。
あの頃は、遊んでばっかりで毎日が楽しくて笑ってばかりいました。
中学生の頃に行きたい高校が2つありました。
(志望高校)
第一志望:植物や動物に関わるお仕事に憧れて、農業高校。
第二志望:PCや簿記など勉強したいと思い、商業高校。
第三志望:実家から自転車で通える地元の高校。
その頃は、志望高校を調べるだけでワクワクしました。
仲のいい友達とも、志望高校が同じで嬉しさ一杯ではしゃいでました。
母親の反対
母:お母さんのために、この辺じゃ有名な進学学校に行って。
私:え?(自分の世間体?)
もちろん当時、反対しました。私の人生なので。
ですが、いくら反対しようが母親からしたら私の希望なんて関係のないこと。
(母の言い分)
・姉達も母の言う事を聞いて、その高校に行っている。
・なんで、お前は言う事聞かない。
・制服のお下がりがあるから、経済的に助かる。
・農業学校はあんたの嫌いな虫がいるよ。
・商業関係は遠い学校でお金かかるから。
・進学学校と母が進める滑り止めの学校以外は受験させません。
自分の気持ちを押し殺すのでいっぱいでした。
最初から、選択肢なんて存在しなかったんだと改めて思い、母親に対してこの頃から不信感で一杯になりました。
合格発表の日
それでもどうしても、その進学学校へ行きたくなくて、滑り止めの受験に力を入れました。
もう心は、滑り止めに受けた私立学校に行く気満々でした。
ですが…。
進学学校に合格してしまった…。目の前が、真っ暗になりました。
進学学校の試験は、ほとんど勉強もしなかったし、わざと解答を記入しないで提出したのでおかしいと思いました。
あとでわっかったことですが、当時その高校は受験する人が通年より少なかったみたいで偏差値も低くなっていました。
喜ぶ母親と落ち込む私。
高校生活が灰色
お下がりの制服は、ストレス太りして新しく作る羽目になり結局節約にはなっていません。
大学は経済的に無理なので、絶対行っては駄目と入学して言われました。
進学学校を受験したのに、大学は禁止ってwww
決められた進路。
看護学校を目指せとのこと。
私は、一人の人間として見てもらえなかったんだと思いました。
進学学校は夢がないと辛い学校です。
(私が思う辛かった点)
・朝課外に強制参加
・大学受験前は夕課外
・予習したこと前提で授業が進む科目は授業置いてけぼりになる
・宿題の量が多い
・寮に落ちたので実家からの通いが電車で遠かった
・通学時間が人よりかかる為、睡眠を削ることが多くなった
結局、心が病んでしまって途中不登校になったわ、勉強できなくて看護学校行かないわで、医療系の歯科衛生士学校に行ったよ。
ちなみに、血を見るのが駄目で実習は吐きまくっていましたwww。
医療系は、合う合わないはっきり別れるんじゃないかなと思います。
性格的に事務があっていました。
社会人になってまで?
地元で、お仕事したときのこと
職場のおばさんが、中学校の同級生の母親だったみたいで、職場に響き渡る大きな声で
「あんたバカじゃない?進学学校に行ったくせに、なんでこんなとこにいるの?うちの子は地元の高校出て〇〇の先生になってるよ。本当ばっかじゃない?」
心の中で「おっしゃる通り、あたしゃ馬鹿者です。でもあれから15年経って他人に言われる筋合いはない!ムカつく!」
と思いましたが、職場の雰囲気を壊してはいけない!と思い直してワザとオトボケして笑顔で流しました。
我慢するときは、だいたい嘘の笑顔。
我慢しながら、話を聞いる記事を貼っておきます。
まさか、大人になっても高校のこと言われると思ってもみませんでした。
その後も、地元での就職の面接で高校のことよく聞かれます。
それでも就職した職業は、子供の頃に夢見ていた植物関係と経理の仕事。
自分の希望が遠回りになっただけと言うことです。
さいごに
お子様を育てていらっしゃる親御様。
子供は、一人の自立した人間です。
性格だって親とも兄弟とも違う。
どのお子様も十人十色。
どうか、毒親にだけはならないでください。
おわり